水原秋桜子関連エントリー

小春日や湖より青き蟹の甲(水原秋桜子)

剪定作業に入る前の晩秋のナシ畑の作業。 施肥や落葉処理のほかに苗木の植栽があります。 ナシ仲間のHさんから 余分な苗木があるので掘りに来ないかという誘いがあり、 せっかくだからといただきに行きました。 ...

小春日や湖より青き蟹の甲(水原秋桜子)

満月や雲海のこす夕茜(水原秋桜子)

昨夜は満月でした。 今夕は寄せる波のような夕焼けが広がっていました。 その中を北海道行きの飛行機が横切っていき、 一瞬、夕日を受けて光りました。 小春日和と予報されてなりきれなかった 穏やかな一日でした。 ...

満月や雲海のこす夕茜(水原秋桜子)

名句鑑賞16 水原秋櫻子

春惜むおんすがたこそとこしなへ 水原秋櫻子(みずはら・しゅうおうし) (はるおしむ おんすがたこそ とこしなへ) 今年、秋櫻子が創刊した「馬酔木」が1000号を迎え、祝賀会が帝国ホテルで華々しく開催された。 秋櫻子は東大卒。 ...

名句鑑賞16 水原秋櫻子

水原 秋櫻子

水原 秋櫻子 2008年04月25日 ●のこれるは荒波にをり鴨かへる 帰る鴨と残る鴨を、一句の中に収めている。 「荒波」というから、海の景と考えるのが自然だろう。 行くもの、残るもののそれぞれのありようが、おのずから目に浮かぶ。 ...

水原 秋櫻子

[引用(俳句)]水原秋桜子

冬菊のまとふはおのがひかりのみ

[引用(俳句)]水原秋桜子

水原秋桜子とは?

水原秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年10月9日(明治25年) - 1981年7月17日(昭和56年))は、日本の俳人、医学博士。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。
東京市神田区猿楽町(現・東京都千代田区神田猿楽町)に代々産婦人科を経営する病院の家庭に生まれる。
1914年、獨逸学協会学校(現在の獨協大学)、旧制高等学校 第一高等学校を経て東京帝国大学医学部へ入学。学生時代、渋柿派の緒方春桐から俳句の教えを請い、後に高浜虚子を師事した秋桜子は句作に勤しんだ。大正7年(1918年)東京帝国大学医学部卒業。その後、昭和大学 昭和医専の教授となり、家業の病院も継いだ秋桜子は多くの皇族の子供を取り上げる。

水原秋桜子の詳細

水原秋桜子に関するニュース


中西悟堂:短歌集「檜山路」よみがえる 出版断念から61年 /東京
毎日新聞
人と自然の慎ましく謙虚な営みを愛してやまなかった悟堂は、親友の水原秋桜子らと吟行した日の出町大久野の峠の名を題名に選んだ。後記に「昭和22年6月武蔵野奥、秋川べりにて」とあった。 序文を歌人で国文学者の窪田空穂が、装丁画を医師で俳人の水原秋桜子が描い ...


信濃毎日新聞

着物や帯で表装の書 上田の作品展に出品
信濃毎日新聞
林和子(雅号・和風)さん(75)=富士山=は、俳人水原秋桜子が浅間山を詠んだ句「雲の中に雪あたらしき浅間見ゆ」の書を出品。約20年前に亡くなった母親の着物の帯で軸装した。薄肌色の地に草木の柄が入っている。「捨てるのはしのびない。利用できてよかった」と林 ...

and more »